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沖縄タイムス石垣島記事

八重山の音楽を支える磁場

沖縄タイムス 八重山支局 平良孝陽

プロ、アマを問わずバンドの演奏を楽しめるライブハウスが石垣市美崎町の繁華街にある。「日本最南端のライブハウス」と銘打つ「CITY JACK」

足かけ20年、島の音楽を支えてきた。木製の長テーブルと椅子で、軽食やお酒も楽しめる。代表の石垣博公(ひろきみ)さん(66)は、BEGINなど多くのミュージシャンを輩出した八重山音楽祭に携わり、島の音楽シーンを築いた人物の一人だ。裏方を務める一方、自らステージにも立つ。

「プロデビューした島のミュージシャンの数は人口比で言えば、ギネス記録級かも。誇らしいことだよ」そう言って屈託のない笑顔を見せた。

世界には、ビートルズを生んだ英国リバプールなど音楽の磁場がある地域があるが、石垣も劣らない。そこには必ずライブハウスやスタジオなど、若手を支える環境があり、石垣さんはそれを担ってきた。

幼稚園生でハーモニカを吹き、中学生からは独学でギターを弾いた。吉田拓郎やかぐや姫などフォークソング全盛の1970年代、仲間と共にバンドを組み、当時のアマチュアで恒例だった「99円コンサート」に明け暮れた。

二十歳前に上京して東京の音楽事務所に入った。70年代後半、当時人気を博したピンクレディーなどの全国ツアーにスタッフとして帯同。音楽ライブのノウハウをたたき込まれた。

悔しい思いもした。日本復帰から間もない頃で、東京には沖縄人への「差別」が根強く残っていた。居酒屋には「琉球人お断り」の張り紙が張られ、同僚からも故郷をばかにされた。

上京して10年近くたった頃、石垣島で音楽ライブを開かないかと地元の先輩に誘われ、里帰りした。それが後に若手の登竜門となった「八重山音楽祭」企業から広告費を集め、舞台は手作り。苦労もあったが、島の仲間が喜ぶ顔がうれしかった。

同時期に「CITY JACK」を新川に開いた。八重山音楽祭も軌道に乗り、ギタリストとして音楽祭の大トリを飾った。だが程なくして体調を崩し、一度ライブハウスを畳まざるを得なくなった。

宅配便の営業所を立ち上げたり、自然食品販売会社にも勤めた。50歳を迎え、仲間から懇願されて再びライブハウスを開店。場所を美崎町に移し、プロが利用しやすい環境を整えた。

今も、若手やアマチュアを育てる裏方と、自ら演奏する表方の“二刀流”のスタイルは変わらない。

5年前に患った脳梗塞の後遺症で左手にしびれが残るが、頼まれればステージでギターをつま弾く。

島は近年、国内外からの移住者が増え、客や出演者の層も変わってきた。「音楽に良い影響を与えている。みんなの交流の場所になれるよう、生涯現役でいたいね」と笑った。

2023年9月12日(火)
沖縄タイムス 八重山支局
平良孝陽

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